空転

 グランドラインでの航海。特有の気候の変化や海王類の存在を除けば、比較的穏やかな時間が多い。この広い海で海賊や海軍に出会うことは稀だからである。勿論、何処かの島に上陸している時は別であるが。戦闘時以外は自由時間となっていることもあり、今は各人思い思いに過ごしている。それは、このハートの海賊団の戦闘員唯一の女性クルーであるも例外では無い。

「ベポーはぐぅー」
「いいけど、他にすることないの?」
「とりあえず、ベポに抱き着く以上に大事なことは無い」

 勢いよく抱き着いてきたをベポは何なく受け止める。彼女が暇さえあればベポに引っ付いていることは最早周知の事実である。他のクルーも、あぁまたやっているな、程度のリアクションしかしない。何でも、あのもふもふ具合は神の感触だそうだ。ペンギンも抱き着いてみれば分かるよ! と何度となく奨められたが、良い年した男が可愛らしい白くまに抱き着いている図というのは見ていて辛いものがあるだろう。あれはだからこそ許されるのだ。双方共に外見は非常に可愛いので、見物しているクルーを癒す効果もあったりする。暑苦しいだろうな、という感情は二の次だ。

「でもさっきキャプテンがのこと探してたよ」
「え、うそ、私知らない」
「なら行ってきなよ。戻ってくるまでおれは此処で待ってるから」
「……聞かなかったことにしちゃ駄目かな」
「キャプテン怒ると怖いよ」

 ベポに抱き着いて嬉しそうにしていたは「キャプテン」という単語を聞いて表情を曇らせた。彼女は別にローのことを嫌っているわけではない。ただ、せっかくベポと仲良くしていたのに、それを中断するのが嫌だっただけだろう。がベポとの時間を作る為に、任された仕事を午前中に頑張ってこなしていたことは知っている。直接呼ばれたわけじゃないのだから、知らなかったということにしてしまっては駄目だろうか。我が儘という程のものではない、ほんのささやかなものだった。しかし、その程度のことさえも許さない人物がこの船には居た。その人物はいつの間にかこの甲板まで降りてきており、未だにベポにしがみついたまま渋るの方へと向かっていた。

「おれからの呼び出しをシカトするとは良い度胸だな」
「キャプテン、いつ来たの?」
「今来たところだ。それで、お前はいつまでベポにくっついてるつもりだ?」
「…………」

 ローが怒っていることを察知しているのか、は無言でベポに顔を埋めたまま動こうとしない。間に挟まれた状態になってしまったベポは困ったように二人を見比べている。それまで二人を眺めていたクルー達は、ローの片手に刀があることを見て、下手に手を出すと即ROOMの餌食になると判断し静観していた。緊迫した空気が場に流れた。

。どうやら無理矢理にでも引き剥がされたいらしいな」
「…………ローキャプテンの意地悪」
「この船ではおれが全てだ。それを承知の上でお前も乗ってるんだろうが」

 ちゃきり、と刀が音を響かせたのを聞いて、は仕方なく顔を上げる。このままだと、間違いなくROOMを使われると思ったからだろう。いくら痛みもなく血が出ないとは言っても、身体を切り離されるのは気分の良いものではない。一度でも体験したものならば、誰もがそう思う。

「だからって、ベポに抱き着く私に嫉妬しなくても良いじゃないですか!」
「誰が、誰に嫉妬してるって?」
「キャプテンが、私に。自分がベポに抱き着くと周りから白い眼で見られるからって、好きに抱き着ける私に嫉妬までしなくても。キャプテンどれだけベポのこと好きなんですか」
「……どうしてそうなるんだ。もういい、お前先に部屋行ってろ」
「分かりましたよぅ。ベポまたあとでね」

 名残惜しそうにしながらも、漸くはベポから離れる。それを見て、密かに安堵の息を零したのは一人では無かっただろう。そんな周りの様子などには全く気付かず、船長の指示通り先に部屋へと向かったは既に船内へと足を向けていた。しかし、再度名前を呼ばれたことでこちらを振り返る。

「お前次の島でおれと一緒に買出しに来い。今回のペナルティだ」
「……アイアイキャプテン」

 船内へと消えていったその背中には、船長と二人なんて面倒だ嫌だな、と思っていることがありありと表れていた。嫌がるからこそ、余計喜ぶということを彼女は知らない。現に、船長の顔にはお世辞にも爽やかとは言い難い笑みが浮かんでいた。

「キャプテン、に嫉妬したの?」
「してねぇよ」
「じゃあ誰に嫉妬したの?」
「さてな。……何か言いたそうだな、ペンギン」

 甲板に残されたベポは臆せずしてローに質問を飛ばす。分かっているんだか分かっていないんだか、物怖じをしない姿勢は凄いと言える。誰に嫉妬したかなんて、「嫉妬」を否定しない時点で明らかだ。そう考えていたら、不意にローがこちらへと話を振ってきた。

「別に何も無いが。ただ、はっきり言わないと伝わらないと思うぞ。鈍感だからな」
「フフ……暫くは今の状況を楽しむさ」
「……あんまりいじめてやるなよ」
「それはアイツ次第だろう。いじめたくなるような態度を取るのが悪い」

 そう言ったローの眼は、まるで獲物を見付けた獣のように輝いていた。。悪いことは言わないから、もう少し鋭い感性を身に付けろ。今はこの場に居ない彼女に、心の中でそんな忠告を送った。


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