もう一度だけ、足掻いてみようと思った

 士郎が意識を失ったセイバーを連れて帰宅してから一夜が明けた。昨夜新都を照らした輝きからすると、恐らく彼女は宝具を使ったのだろう。だからこそ、セイバーは魔力を使い果たして消え掛かっている。それを救う方法を士郎は既に凛から聞さかれているはずだ。朝早くからふらふらと何処かへ出掛けていったのは、誰も居ない場所で一人になって考えたかったからなのだろう。
 決めかねて抱え込んでしまう士郎の気持ちが分からないわけではない。凛の提示した方法はセイバーをこの世界に留めることと彼女の誇りを秤に掛けることに他ならないのだから。分からないわけではないけれども―――

「ちょっと考えなしの行動よね」
「『ちょっと』じゃないわよ! まったくアイツは自分もマスターの一人だっていう自覚が無いわけ?」
「それどころじゃなかったのよ。頭の中はセイバーのことで一杯だったから」

 多分、私の推測は外れてはいないと思う。自分が聖杯戦争に参加するマスターでありその命を狙われているということよりも、今の士郎にとってはセイバーの問題の方が重要だったのだ。出会って数日ではあるけれど、士郎にとってセイバーはそれだけの存在となっていることは見ていれば分かる。だから、セイバーがこの状況に対して必要以上に責任を感じてしまっているのも、彼女の性格を考えれば仕方のないことなのかもしれない。己のマスターを危険に晒してしまった原因は自分の不甲斐なさにある、と。その想いが、今の彼女を無茶な行動へと駆り立てていた。

「士郎が出掛けたのは朝方です。それがこの時間になっても帰って来ないとなれば、敵の手に落ちていることを疑う余地はありません」
「そうでしょうね。だから、そんな状態の貴女が助けに行くって?」
「マスターを守るのがサーヴァントの務め。凛、止めても無駄です」
「止めるに決まってるでしょ! 立ってるだけで精一杯のくせに無謀にも程があるわ。今の貴女が助けに行った所でマスター諸共に殺されて終わりよ」
「ですが……士郎をみすみすと捨て置くわけにはいきません」

 凛が何を言ってもセイバーは頑として譲らず、先程から堂々巡りだった。このままではセイバーが一人でも士郎を助けに行くと言い出すのも時間の問題だ。そうなってしまっては彼女達の行く末に待ち受けるのは死のみ。その結末を『知っていて』止めずにいるという選択は私には出来ない。
 これまでに、凛が自分から助力を言い出したことは一度もなかった。士郎とはあくまで一時的な共闘関係を結んでいるに過ぎないのだから、それも当然の反応だろう。けれども、彼女だって士郎をむざむざと見殺しにしたいわけではない。きっと今回も、頼まれれば断ることはしないだろう。この先に待ち受ける悲劇を防ぎたいのであれば私はいつも通りの役割を果たせば良い。それはもう随分と前から分かっていることだった。

「凛の言う通りよ、セイバー。貴女はうちで待ってて、士郎は私達が迎えに行くから」
「ちょっと。その『私達』っていうのは具体的に誰のことなのかしら?」
「勿論、凛とアーチャーのことよ。手伝ってくれるでしょう?」
「はぁ……緊急事態だから仕方ないわね。今セイバーと士郎にリタイヤされたらこっちも困るもの。構わないわね、アーチャー?」
「マスターの決定だ、従うしかあるまい。私個人としては、衛宮士郎など放っておくべきだと思うがね」
「ありがとう、二人とも。というわけで、私達三人が士郎は連れ戻してくるから、セイバーは休んでいて」

 私だってこれでセイバーが納得するとは思ってない。それでも目指す方向に事を運ぶには、これは必要な過程だった。例えそれが、セイバーとアーチャーの確執を広げるものであったとしても。当然のことと言えば当然のことであるが、こんな状況にあってもアーチャーの士郎に対する辛辣さは変わらない。むしろ増しているとも言える。そして、そんなアーチャーの態度に対して反感を抱きながらも、形はどうあれ助力を申し出てくれた相手に斬りかかるような真似はセイバーには出来ない。今の彼女にとって最も優先すべきことは士郎の救出であるのだから。それが分かっているからこそ、こうして会話を進めることが出来る。
 けれども、そうしたセイバーの内心で沸き起こる葛藤の一部始終を見て取ってしまい、思わず胸中で嘆息してしまった。これでまた二人の溝は広がっただろう。アーチャーがセイバーに対して複雑な心持ちであるのは知っているけれど、あれではセイバーに敵意を抱かせるだけだ。それを何度言ったところで、彼はその姿勢を一度として変えようとはしなかったけれど。もしもそれが狙いなのだとしたら、何というか不器用としか言いようがないと思う。口惜しそうに俯くセイバーの横顔を見ながらそんなことを考えていると、じっとこちらを見つめる何か言いたげな視線に気付いた。

「何か用かしら、凛?」
「協力はするわ。でも、。私は貴女にも大人しく待っていて貰いたいのだけど?」
「あら、どうして? 私が行くことに何か問題がある?」
「ありまくりよ! 貴女はマスターでもないんだから、生死に関わることに首を突っ込むべきじゃないわ」
「確かに私はマスターではないけど、それでも魔術師よ。それくらいの覚悟は持ち合わせてるから大丈夫。それに、捕まってるのは私の弟なんだから、姉が助けに行くのは当然でしょう?」
。貴女の申し出は非常に嬉しいが、私も凛に同意です。貴女を危険な目に合わせては、シロウに顔向けが出来ない」
「セイバーまで……」
「そうね。を連れて行くくらいなら、私はセイバーを連れてくわよ」

 ――同じだった、この展開が変わったことはない。いつだって私は彼女達の戦いから遠ざけられる。どんなに強い魔術を扱えたところで、それは変わらなかった。私がマスターではないから、この聖杯戦争に関わりのない人間だから。何故一緒に行くことができないのか、その理由にはとっくに気付いていた。それでも、私はマスターにはなれない。そのように『できている』のだ。幾度となく数え切れない程に繰り返した生の中でも、この聖杯戦争のマスターになれたことはなかった。たったの一度さえも。『第五次聖杯戦争における衛宮は傍観者でしか有り得ない』そう、決められているのだ。どんなに頑張ったとしても変わらないから、諦めと共にそれを受け入れたのはいつだっただろう。

「駄目よ。こんな状態のセイバーを危険な場所には行かせられない。状態の回復にはならなくても、彼女は安静にしていなきゃ」
「セイバーの状態は良く分かってるわ。それでも、貴女を連れていくよりはマシってこと」
「セイバーは武装も出来ない状態なのよ? 今の彼女は見掛け通りの女の子に過ぎない、それなのに……!」


 静かな声が私の名前を呼び、肩に手が置かれた。あぁ、きっともう潮時だ。最初から分かっていた。彼女を止めることは出来ないと。誇り高い騎士王がマスターの救出を他人任せになどするわけがないのだから。だからせめて、彼女が一人で行くことにはならないように凛とアーチャーに協力を仰いだ。彼女と彼のためにも、そんな行き止まりしかないような選択だけはさせたくなかったから。

「ありがとう。貴女がどれほど私を心配してくれているのかは伝わりました。それだけで私には十分です」
「……行くのね」
「はい。私はシロウのサーヴァントですから」
「これ以上は何を言っても止められない、か。ねぇ、凛。考えたことがあるのだけど」
「大体予想が付くから先に言っておくわ。二人共連れていくなんてもっての外よ、足手まといが二人も居たんじゃこっちだって守り切れないもの」
「アーチャー。貴方も私が足手まといだと思う?」
「さて、私は君の力量を知らないのでね。だが少なくとも、人である君よりはサーヴァントであるセイバーの方が生き残る可能性は高いだろうな」

 これで終わり。どんなに言葉を尽くしたところで、彼女達が私を連れて行くことはない。もしも私が納得しなければ、力づくでも置いていくだろう。それはどちらにとっても望む展開ではない。止むを得なかったとは言え、私に手を出したという事実はこの後も彼らの心にしこりを残すことになってしまうだろうから。
 この間にも、士郎の命は危険に晒されている。あの子のことを信じていないわけではないが、今のあの子にはどんな言葉も通じない。選択を誤れば、士郎は一息の内にその生を奪われてしまうだろう。だから、一緒に行きたいと思う気持ちは本物だ。発する言葉は台本に書かれた台詞なんかじゃない、私の心からの想いだった。――でも、私はもう諦めてしまっているから。

「そこまで言われたら引き下がるしかないじゃない?」
「それじゃあ、私とアーチャーとセイバーが士郎の救出に行く、ということで良いわね?」
「えぇ、私はここで待ってる。だから」
「必ずシロウを連れて帰ってきます」
「そして全員無事で帰ってきて。怪我をしないでとは言わないから」
「あまり期待をしないで、と言いたいところだけど、最大限の努力はするわ。分かってるわね、アーチャー」
「愚問だな。君が期待している以上の働きはしてみせるさ」
「いってらっしゃい。気をつけて」


 +++


 残されたのは私一人。皆が出払ってしまった屋敷は静まり返っている。以前は士郎と二人で暮らしていたから、家に一人で居ることなんて珍しくもなかった。それが変化したのは、ほんの一週間前のこと。家に帰れば、必ず誰かが迎え入れてくれるようになったのは。皆で囲む食卓、そんなありふれた日常が幸せだった。けれど、幸せな幻想はいつまでも続かない。私は知ってる。彼女達が全員無事に帰ってくることはないし、彼女達全員が帰って来ないことすら有り得るということを。そして、彼だけは、決して帰ってくることはないということを。
 ここで彼女達を追い掛けなければアーチャーにはもう会えない。知っているのに、未来を変えてしまうのが怖くて動けない。私がイレギュラーな行動を取ることで、どんな悪影響を及ぼしてしまうか分からないから。

 だから、また諦めるの? せっかく巡り会えたのに?

 悩んで、悩んで……結局いつも待つことを選んでいた。ただ、今回は今までとは違う。だって、この世界の彼は紛れもなく私にとって掛け替えのない『彼』なのだから。自分を見失ってしまうくらいの時間を経て、漸く再会出来た大切な弟。これまでに出会ってきた彼を、大切な弟と思ってなかったわけじゃない。けれど、理を捻じ曲げてまでして会いたいと思ったのは、今ここに居る『彼』ただ一人だ。簡単に諦めてしまいたくない。いや、諦められない。今生において遂に原初の願いが叶った私には恐らく次の生はない。これが衛宮にとって最後の人生になるだろう。最後だから悔いを残したくないと思うのは、自分勝手な我が儘に過ぎない。それでも、我が儘だと分かっていても―――

「最後にもう一度だけ、この気持ちのままに動くのは許されること?」
『今の君が後悔によってあるというのなら、今度こそ悔いを残すべきではない。でなければ、君は永遠に囚われたままだ』

 懐かしい声を聴いた気がした。かつて一度だけその手を取った、強く気高い女性。それはたった一度きりの邂逅であり、もう随分と昔のことになる。覚えていたことが不思議なくらいだ。あの時の彼女は、果たして『今』を見越してあの言葉を言ったのだろうか。生前には未来を予知していた彼女のことだ、その可能性も皆無ではないと思う。どちらにせよ、彼女の言葉は私の背中を押してくれた。心を決めてしまえば躊躇いも消えた。
 立ち上がって玄関へと足早に向かう。持って行くものは何もない、この身一つがあれば良い。家からあの森までの所用時間を考えながら玄関の引き戸に手を掛けたところで、後ろを振り返る。ここにはもう帰って来れないかもしれない。そう思ったら自然に言葉が零れていた。

「行ってきます」

 その言葉を最後に私は長い時間を過ごした屋敷を後にした。この行動がどんな結果を生み出したとしても、私はそこには居ない。悔いがないようにするとは、そういうことだった。

2011.11.11→2014.09.28.加筆修正